424兆円の紙? MICR用紙のご紹介

 

1年間で424兆円。

いったいこれは何の金額でしょうか?

「35億!」なら知ってるって?
いえ、そっちじゃないんです。
「424兆円」となると日常感覚とはだいぶかけ離れた大きな金額で、ちょっとわかりませんよねぇ……。

これ実は、1年間に日本国内で行われた小切手振出・手形交換高(2016年)なのです。

日本には様々な形の支払方法がありまして、小切手や手形と呼ばれる有価証券を用いる支払方法もあります。小切手と手形は利便性や安全性に優れており、高額な支払が行われる企業間で使われることが多いです。
これらは最終的には銀行等に集められ、相互に銀行間で交換しあうのですが、金額ベースにすると年間424兆円にのぼるということです。
  

さて、これだけ金額の大きな話になると、悪用や詐欺等に利用されてしまうことがあります。

2002年に公開された「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」という映画では、レオナルド・ディカプリオが演じた主人公のフランク・W・アバグネイルは大胆不敵な詐欺師として描かれていましたが、実は実在の人物であり、作中と同じように小切手の偽造などの詐欺事件を繰り返し、5年間で40億円もの大金を不正に得ていました。(本作品では、主人公の好敵手がトム・ハンクスという豪華なキャスティングです!)
アメリカでは、アバグネイル氏が偽造小切手を銀行に持込んで換金を繰り返していたため、事件発覚後、本物の小切手の換金が一時困難になるほどの影響が出たそうです。

いや~、手形や小切手は市中に出回るだけに、もしそれが偽造となると影響が大きいですよね。社会が大混乱してしまいます。

と言うことで、それを防止するために、実は現在は小切手や手形にはある工夫が施されているのです。
現在、日本で流通する小切手や手形の大半は紙でできていますが、これ、ただの紙ではないんです。「MICR用紙」という特別な紙が使われているんです。(知ってました?)

MICRとは「磁気インク文字認識」(Magnetic Ink Character Recognition)の略で、鉄を含んだ磁気インクで印字された文字を読み取る技術であり、小切手・手形のほとんどすべてに使われています。
MICR技術を使うことにより、発行元が特定できるため偽造や不正利用の抑止につながり、また銀行間の小切手や手形の交換処理も迅速に行うことができるのです。

このようにMICRは、とても有効な技術なのですが、一方で、MICRで印刷するには、高度に品質管理された専用の紙「MICR用紙」であることが求められます。
機械が誤って認識してしまえば、小切手・手形の金額が違うなど重大なミスにつながってしまうため、この用紙は誤認識が起きないよう不純物を徹底的に除去し、また機械が読み取りやすいよう加工が施された高機能紙なのです。

年間424兆円のほとんどが、高機能な紙「MICR用紙」を使うことで成立しているなんて……。
紙を通じての「安全な社会への貢献」と言えるのかもしれませんね。
紙に関わる者として、ちょっぴり誇らしかったりして……。
  
  

卓上カレンダーの横綱!『パデカ』

 

秋ですね~。

「秋」と聞くと、”個人”としては、
・そろそろ冬物の服を出しておかないと……
・年末年始の予定、どうしよっか?
なんて思ったりしませんか?

年末年始に何かしようと思うと、この時期からそれなりに準備をしておかないと、しっかりと実行できなかったりしますよね。

では”企業人”に置き換えるとどうでしょう?
企業人として、この時期に年末年始を見据えて何を考えますか?

・上期の数値目標の足りなかった分を、年末までにどうやって取り戻そうか?(営業マンの性です。。。涙)
・年末年始の挨拶回りで使う贈答品。今年はどうしようか?

ですよね~

と言うことで、
今回は、年末の挨拶回りの定番品である「カレンダー」のご紹介をいたします。

今回ご紹介するのは、弊社の製品、卓上カレンダー『パデカ』。

「な~んだ、卓上カレンダーか……」と思ったあなた。

ちょっと待って!
弊社の卓上カレンダーは違うんです。

何が違うかって、

何と、卓上カレンダーの横綱なんです!

押してよし、投げてよし、突っ張ってよし!
(って、すみません。。。これは力士のことでした。。。)

もとい、

置いてよし、書いてよし、見てよし!

一度でも手にとって使っていただければわかります。
その「違い」を実感していただけます。

紙屋が紙にこだわって作った「紙を極めたカレンダー」、
それが『パデカ』です。

  

▶安定感が違う!
台紙が厚くてしっかりしています。安定感バツグンです。
手許に寄せて書き込んで、また立てて……。それを一年間で何回行うでしょうか?
365日使い続けてもヘタらない。『パデカ』の強さを実感してください。

▶書き心地が違う!
『パデカ』の本紙は、台紙と同様に紙が厚くてしっかりしています。
他社製の卓上カレンダーによくあるケースとして、
・ボールペンでは書けるけど、鉛筆だと書きにくい。(消すことがあるので鉛筆で書きたいのに……)
・紙が薄くて、書き込むと筆圧で紙がへこんでしまう。
といった残念な感想。
でも、『パデカ』なら大丈夫!
紙質にこだわっているので、鉛筆でもボールペンでも書き味充分。筆圧でへんこんでしまう心配もありません。『パデカ』の書き心地の良さを実感してください。

▶見やすさが違う!
卓上カレンダーに求められること。日にちを確認できることは勿論ですが、もうひとつの大事な役割として、予定を書き込んでそれを目視できること。会社で使う場合は特に、この2つを同時に成立させることが求められます。
ですから、『パデカ』では、「日にち(数字)の大きさ」と「書き込めるスペース」のバランスにこだわっています。
日にち表示が大き過ぎてスペースが狭くなってもいけない。かと言って、日にち表示が小さすぎて視認性が悪くなってもいけない。普段あまり意識することのない六曜は裏面に刷り込み、表面はシンプルですっきりをモットーとしています。
数字の書体にもこだわりを持ち、視認性の高いフォントを採用。色使いは2色で、これぞシンプル! 巷にはカラフルな卓上カレンダーもありますが、『パデカ』はあえてシンプル・すっきりで統一しています。
書き込みはどうぞカラフルに、自分流に。
それを支える下地はシンプル・すっきりがベストマッチです。
『パデカ』の見やすさを実感してください。

▶価格が違う!
すみません。。。
正直に申し上げます。。。
安くありません!
こだわりの一品なので、それなりの価格になっております。
とは言え、弊社の約二十年にわたっての定番商品となっていて、毎年ご用命いただける企業様も数多くいらっしゃます。また、一度使っていただいた方からのリピート率が高いのも特徴です。
「品質の良さ」には自信があります。是非一度お試しください。

※100個以上ご注文の場合は、台紙に名入れができます。
※「コスト重視」の場合は、別仕様のオリジナル卓上カレンダーを製作することもできます。
お気軽にご相談ください!

ということで、
おわかりいただけましたでしょうか?
なぜ私どもが『パデカ』を「卓上カレンダーの横綱!」と(恥ずかしげもなく)言うのかが……。

置いてよし、書いてよし、見てよし!
使ってよし、贈ってよし、売ってよし!

これ、マジメな話しなのですけど、
一度、『パデカ』と他社製卓上カレンダーの”紙相撲大会”を実施してみようかと……。”紙相撲”というより”紙製卓上カレンダー相撲”と言う方が正確ですかね。
例の「手作りの土俵の周りを手でトントン叩く」っていうヤツです。
これで勝ったら名実ともに「卓上カレンダーの横綱」ですね。(笑)

大会を実施したら動画にしてアップしますね~。

  

2017年上半期『芥川賞』・『直木賞』受賞作品の紙

 

書籍で使用されている用紙をご紹介する記事も、これが2回目。
前回の記事(『騎士団長殺し』の用紙/2017年上半期書籍に使用された紙 2017/08/04)が好評(?!)だったことを受けて、この度めでたくシリーズ化が決定!
その名も『知ってる? あの本の紙』シリーズ。
今後、不定期ながらも、ちょこちょこご紹介していきますね。よろしくお願いしま~す。

 

 

さてと、では本日の1冊目。

 

■村田沙耶香著『コンビニ人間』

 

先日、とある学校に伺ったところ、

「祝 村田沙耶香さん 芥川賞受賞」の横断幕がありました。

2016年上半期に『コンビニ人間』で受賞された村田沙耶香さんの出身校だったのですね。

ということで、私としてはご縁を感じてしまい、早速この本の用紙を調べてみました。

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水に強い!耐水紙 雨のゴルフで力を発揮!

今年の夏は雨が多かったですね 東京でも21日連続で雨が観測されたりと……。
ずーっと降りっぱなしで傘が手放せないというわけではないのですが、曇り空でどこからともなく雨雲が湧き出すという、すっかりおなじみの「ゲリラ雨」というパターンでした。

それにしても、最近の天気予報は精度が素晴らしい!
昔は”あてにならない代名詞”で、「お前の言っていることは天気予報みたいだな…」なんていう言葉を耳にしたものでした。「あてにならない」ことを揶揄して言っているわけですね。「天気予報=ネガティブイメージ」でした。
それが今では、「都心方面は15時頃からゲリラ雨の注意が必要ですが30分程で収まります」と言い切っちゃいますから。どうです、このピンポイントな言いようは。昔が”予測”なら、これぞ”予報”。これを可能にしてしまうスーパーコンピュータってすごいですね!(やはり世界一番を目指さないといけませんね!)

というわけで、懐に優しいのに名門コースでプレーができる夏ゴルフ! 
(突然の話題ワープですみません。。。雨ネタとからませます。冷汗)

ゴルフ好きの私は…、
勿論、やりました。
今年の夏は雨が多かったせいで―猛暑日よりはいいですが―クラブを拭いたり、カッパを着たりと、普段よりやることが増えて面倒くさく感じました。
スコアカードも雨に濡れてぐしょぐしょになったりと……。「ユポで作ったスコアカードだったらよかったのに……。そう言えば最近見なくなったなぁ」なんて思い出しましたよ。(某王子ホテル系のゴルフコースは使ってましたけどね。)

そんなこんなで、ここからが本題。
紙屋のサイトらしく、今日は「水濡れに強い紙(耐水紙)」をご紹介します。
雨のシーンで、屋外イベントで、災害現場で、プールで、お風呂で……。あれこれ想像してみてください。実は用途範囲は広いのです! 勿論、雨の日のゴルフでも力を発揮します。

  

【ユポ®】
以前このサイトでもご紹介しましたが選挙の投票用紙にも使われている、あれです(関連記事:「選挙の投票用紙」2017.07.07)。 
PP(ポリプロピレン)でできている合成紙で水に強く、雨に濡れてもへっちゃらです(もちろん鉛筆とも相性がいいです)。ちなみに、オフセット印刷にも相性が良いので選挙ポスターでもよく使われてますよ。
来たる選挙では、是非気にしてみてくださいね。
詳しくはユポ・コーポレーションのサイトでご確認ください。

【シナップス】
これもこのサイトで以前ご紹介しています。(関連記事:「オンデマンド印刷機をお持ちの方へ、耳より情報! 合成紙シナップス」2017.05.17
こちらはPET(ポリエステル)でできている合成紙です。高温になるオンデマンド印刷機でも対応できるのが特徴です。
スコアカードでは見たことがありませんが、オンデマンド印刷に対応しているので、お客様の名前を前もって印刷しておいたり、パーソナルな情報を事前に印刷できるので、アイデア次第でいろいろな使い方が出来ますね!

【オーパー(OPER)】
こちらは紙にポリオレフィレン系樹脂で紙をはさんだ三層構造をしている紙です。
オフセット印刷専用です。コピー機やレーザープリンターなどのオンデマンド印刷には適しませんのでご注意ください。
詳しくは日本製紙パピリア(株)サイトでご確認ください。

【OKレインガード】
ベース紙の両面に撥水加工を施している紙です。オフセット印刷はもちろん、レーザープリンターなどトナー使用のオンデマンド印刷にも対応しています。
(※撥水:水を弾く加工のこと。水が玉になり表面をコロコロ転がり落ちます)
詳しくは王子エフテックス(株) のサイトでご確認ください。

【耐水耐油紙ポエムS】
耐水耐油加工を施した機能紙です。オフセット印刷(UV印刷推奨)はもちろん、カラーレーザープリンターなどのオンデマンド印刷にも対応しています。
詳しくは北越紀州製紙(株)サイトでご確認ください。

こうしてみると、結構色々な耐水紙がありますね~。(これで全てを網羅しているわけではありません)
同じ耐水性のある紙でも使用用途や条件などによって、使える紙が変わってきますので簿注意ください。勿論ご相談いただければ、私どもでより最適な用紙をご提案いたします。
どうぞ、お気軽にお問い合わせください。

  

オンデマンド印刷機でゼッケンが作れる!「レーザーサテン」登場

「レーザーサテン」で作ったゼッケン
「レーザーサテン」で作ったゼッケン

2020年の東京オリンピックまであと3年を切り、皆さんの身の周りでもオリンピックを意識したスポーツイベントが行われていることかと思います。今回はそんなスポーツイベントで“イイ仕事”をしそうな機能紙をご紹介致します。
その名は「レーザーサテン」。(ダイオーポスタルケミカル㈱製)
商品規格はA4とA3サイズで、100枚単位にてご案内可能です。


“サテン”というと紙屋さんは「サテン金藤」というダルアート紙をイメージしてしまいますが、この「レーザーサテン」はなんと本物のサテン繊維にカラーレーザープリンターで印刷が出来るというすぐれ物のタック紙で、オンデマンドで簡単にステッカーやワッペンが作れてしまうのです! サテン特有の光沢があり、紙というよりは本当に布生地という感じの商品です。

 

製品の特徴


通常のタックシールは衣服への粘着性が弱く、汗をかくとすぐ剥がれてしまい、とてもゼッケンや名札には使えませんでした。しかし、この「レーザーサテン」の粘着材は、繊維用糊を使用しているので、衣服に貼っても剥がれにくく追随性があり、活動的な場面での使用にも適しています。
今まで、ゼッケン用紙というと「シータス」を使う事が多かったのですが、「シータス」はタック品ではないので安全ピンなどで留めなくてはなりませんでした。
先日、お客様から「空手の道着に付ける名札として使用するもので、何かいいものはないか?」とのご相談があり、さすがに安全ピンで道着に付けるのは危険な為、シータス以外で何か良い商品は無いかと思案していたところ、ちょうど良いタイミングでこちらの商品が発売されたのでした。

 

活用シーン


主な用途事例としては、
・マラソン用のゼッケン
・空手・柔道の道着やその他競技ユニフォームに貼る名札シール
・食品工場や精密機器工場での工場見学等のビジター用ワッペン
・イベント運営のスタッフジャンパーの印刷代わり
などなど、
意外と色々使えそうです!

 

「ふ~、汗かいた……」
「ふ~、汗かいた……」

ジョギングで使ってみました!


 魅力的なこの商品。その実力を知るべく、実際にゼッケンでどの程度使えるのか自分で試してみることにしました。
 或る晴天の休日。オフィス用複合機でオンデマンド印刷したオリジナルのゼッケンを付けて、颯爽(?)と近所をジョギングし、程良く汗をかいてみました!(笑)


「レーザーサテン」の生地が意外に厚く、走り出した当初はゼッケンを付けた胸元付近が暑苦しく感じましたが、すぐに慣れる程度でした。腕を強めに振って走ってもシールが全く剥がれずに粘着力は良かったです。糊が硬化するまで、ある程度時間があった方が良いので、40分程走った後、更に30分程クールダウンした状態で、「レーザーサテン」を剥がしてみました。

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神社仏閣 紙の品々

9月。「まだまだ暑いな~」と汗をぬぐう日があるかと思うと、「今日は長袖を着ていこう」と涼しさを肌で感じる日もあったり……。
そんな日本の9月は、秋祭りがあちこちで催される月でもあります。
さて、秋祭りと言えば、何を連想しますか?

――そう神社・仏閣!

と言うことで、今日のテーマはずばり「神社・仏閣」。しかも『紙らぼ』の記事ですから、「神社仏閣で見られる紙素材の用品」にスポットを当ててみたいと思います。

まずは、紙のお話の前に神社とお寺の違いについて少し触れておきます。
こんなことをお訊きするとちょっと失礼かも知れないのですが……、
「皆様、神社とお寺の違いはご存知ですか?」

「さすがに知ってるよ~」との声が聞こえてきそうですが、ちょっとおさらいをしておきますね。
大雑把に言えば、神道であり神様を祀り祭事を行うのが神社。仏像が安置され、仏教を説く施設がお寺。
参拝の仕方にも違いがありますね。
神社→お賽銭を入れ鈴を1〜3回カラカラ。二礼二拍手一礼。柏手のあとにお祈りで、最後にまた一礼です。「あれ?何回礼をするんだっけ?」と、ちょっと迷ったりしませんか?(笑)
お寺→お賽銭をいれ、両手を合わせてお祈り。時々見かけますが、柏手(かしわで)は絶対NGですからね!パンパンしちゃダメ!
これを押さえておけばひとまずOKでしょう。

さて、いよいよ本題の「神社仏閣で見られる紙素材の用品」のお話に入りますね。
私の思うままに紹介しますが、お許しください。

 

ひとつめは、「紙垂」


これは”しで”と読みまして、鳥居にかかっているこれ

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災害時のバッテリー、えっ? 紙製なの?!

協和エクシオさんの社屋内に置かれていたものを許可をいただいて撮影
協和エクシオさんの社屋内に置かれていたものを許可をいただいて撮影

「9月1日」と言えば……、

防災の日。

この日に避難訓練を行う学校や企業が多いと聞きます。
94年前の1923年9月1日。関東大震災が起きました。
それにちなんで1960年に内閣の閣議了解により制定されたのがこの「防災の日」です。

震災というと今では「3.11」のイメージが強烈ですが、のみならず、とにかく日本は自然災害が多い(>_<)
国土面積を考えると、この自然災害の多さは、悲しいかな日本の特徴のひとつと言っていいでしょう。

さて、そんな自然災害大国・日本。
実際に災害が起きたら何が必要となるでしょうか?
水、食料は勿論ですが、現代社会に生きる私たちにとっては「電源の確保」も重要事項のひとつです。
電源があって通信環境があれば、災害の現場として様々な対応が取れるのです。

そんな災害現場を想定して開発されたのが、協和エクシオさんの「可搬型バックアップ電源システム【サバイバル電源】」。
どこへでも持っていけるハイスペック電源で、LTE/Wi-Fi/有線インターネットの接続にも対応しているという高機能なバッテリーです。(詳しくは、協和エクシオさんのサイトを御覧ください) 

 

さて…、とここまで書いてきて、
「ちょっとちょっと、紙とどう関係してるのよ?」
との声が聞こえてきそうですが……、

してるんです!
実は!

上に掲載した画像の『サバイバル電源』。
わかります?
これ、実は紙でできているんです。
実機と同じ寸法で製作し、実機の画像を全面に印刷してあります。

 

元は1パーツで、こんな状態です。

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紙屋さんの秘密道具たち「紙の厚さ」編

”紙”というと、小さいころから馴染みがあって、「生活のいたるところに在る」イメージですが、”紙屋”というと、「…あれ?知らない。見たことない!」という方がほとんどではないでしょうか?

■「紙屋さん」ってどんな仕事をしてるの?

紙屋に入社して早3年ちょっと。(”新人”をちょっぴり抜けた感じ??)
その間に「紙屋の仕事ってこんなことをするんだ!」という驚きがたくさんありました。かなりニッチなお話ですが、面白がって聞いていただけたら幸いです!
「紙屋さん」と言ってもいろいろなお仕事がありますが、今回は弊社シオザワのお仕事の中の一部をご紹介します。


シオザワの「紙屋さん」のお仕事は、ものすごくシンプルにまとめると、
 ①印刷屋さんや紙を使うお客様からご注文をいただく
 ②紙を仕入れてお届けする
この2つ。
特に、①の「ご注文をいただく」という過程がポイントで、ここで「紙屋」の知識が発揮されます。
ご注文をいただく前に、「こんな紙ってある?」、「銘柄はわからないけど、これと同じ紙がほしい」、「この紙みたいな紙ってない?」、こんなご相談がお客様から寄せられます。
それにお応えするのが、紙屋の仕事。いろんな質問に答えるため、いろんな「秘密道具」を使って「紙調べ」をするのです。

 

■「紙調べ」

たとえばこんな質問がお客様から……
「この紙ってなんていう紙?」
そう言われてお客様から手渡される銘柄不明の紙片!
いただいた紙を頼りに、どのメーカーのどの紙か?を推理していきます。(この「紙調べ」をして、やっとお見積り依頼やご注文をいただけるのです!)
どの紙かを推理するにあたって、どんな要素を調べていくかというと、
 ①紙の厚さは?
 ②紙の色は?(白い紙の場合、紙の白さは?)
 ③紙の模様は?地合いは?
 ④紙の加工(塗工)は?
などなど、いろんなポイントがあります。

 

■紙の厚み

今回は、”紙の厚みを知る”秘密道具をご紹介します。
皆さん、生活の中で、紙の厚さって、意識したことありますか?
私も紙屋に入るまでは、「厚いなー」「薄いなー」「すごく厚いなー」くらいの意識しかありませんでした。でも、いざ紙屋に入ってみると、「これは90kg」「これは135kg」なんて言葉があちころちで飛び交っているのに直面します。(紙の厚みの単位について、詳しく知りたい方はまたほかの機会に!)
長く紙屋をやっているベテランさんは、紙を見て、触って、大体わかってしまうようです。ナント、その昔の大ベテランの営業さんでは、相手先さんが電話口で「紙をはじいた音」を聞いただけで紙の厚みがわかってしまったとか! 紙の厚さを”聞き分ける”なんて、まるで職人芸ですね。
まぁ、そんな神業を持つ紙屋さんはともかくとして、基本は、紙厚(かみあつ)を測るときは「ゲージ」という秘密道具を使って測ります。そして、実際の「見本帳」の紙厚と比べて特定していきます。
「ゲージ」は、見た目は手のひらサイズの昔ながらのはかりのようなもの。機能としては、「ノギス」をご存知の方は、その紙版といったところでしょうか。
レバーを動かすと、カシャカシャと音がし、杵つきのようなところで紙を挟めるようになっています。

 

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創業80周年!

おかげさまで、この8月をもって株式会社シオザワは創業80周年を迎えることとなりました。
これもひとえに皆様のご支援ご厚情の賜物と深く感謝いたします。
今後とも倍旧のご支援ご指導を賜りますようお願い申し上げます。

紙屋としてスタートして80年。
今では紙の卸売りは勿論のこと、企画制作事業や、機密文書の管理・リサイクル事業、内職などなど幅広く事業を展開するようになりました。

考えてみますと、これも「紙」という主軸の事業があったからこそなんです。
紙を印刷会社様に納品して、そのついで(?)にヤレ紙(損紙)を引き取るサービスを行っていたら、その延長線上で機密文書の処理・リサイクルを行うようになり……。
紙屋なものですから、紙の加工品についてお客様からご相談を受けるようになり、その延長線上で紙の加工品、印刷物、デザイン…、果てはイベントのアレンジ、それに関わる様々な製作物などなど…、気がついたら「企画マン」と呼ばれるようになり……。

今後益々弊社の業態は多様化していくことと思いますが、やはり「紙」がその中心軸であることには変わりがないと思います。

これからも紙屋として精進して参ることをまずはお誓い申し上げ、

一方で、

「何か紙屋っぽくないよね」と言われる”紙屋”でありたいと願い、新しいことにチャレンジし続けて参る所存です。

今後ともご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。

 

紙製の鍋は燃えない?! ――ふぐ鍋に見る紙の神わざ

ちょっと間が空いてしまいましたが、

2017年の7月25日は何の日?

――土用の丑の日!

ウナギを食べた人も、食べなかった人も、「そもそも気にしてなかったよ」など様々な人がいたことと思います。

日本には昔から、土用の丑の日になるとウナギを食べる風習があります。
ウナギの旬は本来冬ですが、季節外れの夏でもウナギが売れるようにと、江戸時代の発明家として知られる、平賀源内がキャッチコピーとして「土用の丑の日にはウナギを食べる」と広めたところ、現在までに続くようになったと一説では言われています。


さて、7月25日(※暦に従うので毎年違います)は土用の丑の日でしたが、他にも食べ物にちなんだ日があります。
例えば2月9日。さて、何の日でしょうか?

数字の語呂合わせで2(に)、9(く)で、肉の日を想像したかもしれませんが、実は2月9日は「フグの日」なんです。(ちなみに、11月29日が「いい肉の日」として認知されていますね)

フグで有名な山口県下関では、「フグ」の読み方を、縁起が良いようにと「ふく」(福)と呼んでおり、下関ふく連盟が、2月9日が2(ふ)、9(く)と読めるとこから、この日を「ふくの日」として制定しました。

さて、たまたまこの前とあるフグ料理屋さんに行く機会がありました。
その時、ふぐの鍋(てっちり)を頼んだのですが、普通の鉄製ではなく鍋が紙製で、長時間煮ていてもまったく問題なく使えていることに驚きました。

しかし、よく考えると不思議です。

紙は水と火に弱く、火にかければメラメラ燃えますし、水につければ濡れて使えなくなります。
「なのに何で?!」

こうした疑問から調べていくと、「紙の鍋だからこそ」といった理由がみつかりました。
大阪・梅田にあるフグ料理専門店「梅田ふぐ乃介」さんによると、利点として3つあげていました。

 ①紙の繊維がアクをとり、食べている最中でもアクを取らなくて済む
 ②紙なので処分が楽で、使い捨てで衛生的
 ③見た目がよく食欲が上がる

こうした利点は従来の鍋にはない利点です。
「梅田梅田ふぐ乃介」さんのサイトでは、更に詳しい解説が載っていますので、ご興味のある方はコチラまで → https://ameblo.jp/umeda-fugunosuke/entry-12201297196.html >


近年、人口減少やペーパーレス化など様々な変化の中で紙の消費量が減り、紙業界にとっては厳しい状況が続いています。その一方で、高機能で、新たな付加価値を持った紙の開発や製品化が進み、紙の新しい可能性が広がっているのも事実です。
紙鍋のように、紙の特性を活かした紙製品は、今後も次々に生まれていくことと思います。

これからも、日常生活にある一風変わった紙製品や、高機能な紙製品を見かけましたら、また皆様にご紹介したいと思います。

 

 

封筒こぼれ話、必見です!

 日頃何気なく使っている封筒。誰もが封筒の“役割”はわかっているのですが、封筒“それ自体”のことをどの程度知っているのでしょうか? 
 私は仕事柄、封入作業をしたりDMを送ったりと、封筒に触れる機会が多く、私にとっては封筒が身近な存在で、まるで友達のような感じになっています。(って、ちょっと大袈裟ですね)
なのに…、なのにですよ。そんな私ですらも実際のところ“封筒自体”のことをよくわかっていません。

 と言うことで、今回は私たちに馴染みの深い「封筒」にスポットを当て、基礎知識から「へぇ~そうなんだ~」、「そんなの知らなかったよ」というハイレベル?なこぼれ話までを紹介したいと思います。マニア必見ですよ。

 日本の封筒の歴史はそこそこ長くて、始まりは1830年頃、江戸時代後期の天保の年に使われ始めたと言われています。紙の誕生よりは新しいけれど、もう180年位経つことになります。
それまでの手紙というと、外側に巻紙を付けてバラバラにならないようにして輸送していたそうです。もしかしたら、某運送会社のマークでお馴染の飛脚くんが運んでいたかもしれませんね。

まずは、封筒の種類について


 大きく分けて長形・角形・洋形・保存袋のような袋形の四種類があります。
私たちが普段最も多く使っているのは、長形の長3(A4を三ッ折にして入れるもの)と角形の角2(A4を折らないでそのまま入れるもの)で、「和封筒」と言っています。
和封筒は、長方形の短辺が封入口となっていて縦型。洋封筒も長方形ですが封入口が長辺側にあり、こちらは横型と言えます。
どっちが長3でどっちが角2かわからない方、ここで覚えてしまいましょう!(笑)

それでは、こぼれ話のスタートです。

最初は初級編、紙の目のはなし。


「封筒の流れ目方向は決まっている!」これ知っていました?
封筒を縦長に置いた時に上下方向、つまり天地に必ず紙の目が流れています。
どんな紙も必ず流れ目方向があるんです(合成紙のような例外はありますが)。業界用語でT目(縦目(たてめ))とかY目(横目(よこめ))と言っています。そう、肉と同じですよ。肉にも切りやすい方向と切りづらい方向があるのと同じで、紙をつくる時に繊維を同じ方向に揃えるのです。判別方法があって、簡単なのは紙を縦、横に軽めに折ってみるとわかります。折れやすい側が、その方向に目が流れているということです。折れにくく反発するのが逆目となります。それでもわからなければ、最終手段で破いてください。もっとよくわかります。(もったいないですけど…)
 ちょっと話が逸れましたが、紙の流れ目を天地方向にするには訳があるのです。ピシッとした感じのある丈夫な封筒を作るためで、底を破れにくくして中身を守るためでもあるのです。この紙の目が逆だと腰が弱くて天地に引っ張られてしまって、シワの多いものになってしまいます。

 

続いて中級編、中貼りとサイド貼りのはなし。


「製袋時の貼り方は二種類ある!」これ知っていました?
 封筒の裏面を見ると、貼り目(のりシロ)がセンターにあるものとサイド(必ず右側)にあるものがあります。これを中貼り・サイド貼りと言っています。
どっちが良いとか悪いということではないですが、それぞれメリット・デメリット、それと人によって好みがあるようです。
 中貼りは、和封筒本来の貼り方で、徐々に数が少なくなってきましたが、昭和50年代頃までの既製品は全てこのタイプだったのです。当時は中貼りさんが番を張っていたわけです。貼り目が中心にあるので、ピシッとした封筒に仕上がりますが、印刷時に貼り目上に文字が重なってしまうと、文字が割れたり濃くなってしまいます。今日でも根強い中貼りファンはいるようです。チェーン店でコーヒーを飲むのではなく、髭の生えた暇そうなマスターが、一杯一杯愛情をこめて入れてくれる昔ながらの喫茶店を好むようなものです。
 一方サイド貼りは、中貼りのように貼り目に邪魔されることなく刷れるので、数がどんどん増えてきました。ただ、貼り目がサイドにあるので、「ふにゃ」という感じになり、重ねていくと片高になって高く積むと倒れてしまうというデメリットがあります。
実は私はサイド貼りの隠れファンなのです。当社ではセンター貼りの封筒を使っているので、宛名を横書きしていると、真ん中の段差でペンが引っ掛かってしまい、どうも好きになれません。皆さんはどっち派でしょうか?

中級編をもうひとつ、既製品(大量生産在庫品)と別注品のはなし。

 

「二つの簡単な見分け方があるのです!」これ知っていました?
 もし近くに封筒があったら裏面下の底部分を見てください。台形になっているのりシロの上の左右の角をよ~く見ると一発でわかるのです。角が直線になっているのが別注品、出っ張っていたり妙な形をしていたら既製品ですね。メーカーによって形は様々ですが区別できるようにしています。いや~考えてますよね。
ところで、あなたの封筒は既製品でした?それとも別注品でした?

最後に上級編、郵便番号枠のはなし。


「角形(角2とか角3)の封筒に郵便番号枠を付ける意味がない!」これ知っていました?
意味がないといいますか、必要がないのです。以前から「長形にはよく赤い郵便番号枠が付いているんだけど、角形には付いていないな~」って不思議に思っていたのです。元々、郵便枠の目的というのは、枠内に書かれた数字を「読み取り区別機」で読み取って区域ごとに分類してスピーディーに配送することでしたが、なんと角形はコンピューター処理ができないんですって。私はつい最近知ったのでした……。

以上、ちょっとした封筒のこぼればなしでした。
ここまでお読みいただいたアナタ、さて、これで封筒博士ですね!

紙にこだわってオリジナルの封筒を作りたいという方、
「こんな封筒あるの?」と確認したい方、
お気軽にご相談ください。
紙屋のシオザワは、勿論、封筒製作の良きサポーターでもあります。

 

デジタル印刷機の仮想体験 Canon「Customer Experience Center Tokyo」見学レポート

見学会での配布資料
見学会での配布資料

 少し間が空いてしまいましたが、去る6月21日にキャノン「CEC Tokyo」を見学して参りましたので、そのレポートさせていただきます。

「Customer Experience Center Tokyo (CEC Tokyo)」は、2017年4月にキヤノン株式会社本社の敷地内にオープンされました。
このCEC Tokyoの特徴は、「実際の印刷機を用いた、データ校正、メディア検証、デモンストレーション、トレーニングを通じて、印刷ビジネスの課題解決を“仮想体験”する場」としてオープンしたことで、単に「印刷会社の現状の設備環境にデジタル印刷機を増設した時のワークフローのシミュレーション」に留まっていないところです。
 この施設はフェンロー(オランダ)、ポーイング(ドイツ)、ボカラトン(アメリカ)に次いで世界全体で4か所目の施設で、アジア地区の拠点施設となります。

当日頂戴した出力見本
当日頂戴した出力見本

いざ、CEC Tokyo へ!

 見学会当日(6月21日)、東京は台風並みの雨と風の天候でした。 下丸子駅から歩くこと約10分、全身びしょびしょの状態でキヤノン㈱本社に到着。正門をくぐり受付を済ませ、いざCEC Tokyoの中へ。
 オープンして2カ月の施設内には、大小さまざまな印刷機が並んでいます。大雨の外とは対照的に、温度・湿度管理の行き届いている室内は快適そのものでした。
 そんな施設内を、説明会が始まる前に自由に見学させて頂き、「インクジェット印刷機なのに、A2コートの小巻のロール紙……インクジェット印刷専用紙かな?」とか「連続帳票の印刷の依頼は受けて納品したことはあるけど、実際の印刷機は初めて見た!」などと思っていると……、
 係の方からお声が掛かり、果たして説明会がスタートしました。
係の方のお話では、

  • このCEC Tokyoは世界と繋がり、インクジェット印刷の分野で先行する欧米からの情報も得ることが出来る。
  • 施設全体は4階建てとなり、4階は商談スペース、3階は「B to C製品・技術展示スペース」、2階は「B to B製品・技術展示スペース」、そして1階に大型商業印刷機を展示している「CEC Tokyo」がある。(今回の見学会では、オープン済みの1階のみの見学でした)。
  • CEC Tokyoには、帳票・DM等を印刷する「トナー/インクジェット式印刷機」から書籍・カタログ・販促系を印刷するデジタル印刷機まで、多種多様の印刷機が展示されており、自社の仕事内容に合致するデジタル印刷機を動かし、体験し、ビジネスとしての採算性を検証することが出来る場となっている。

とのことでした。

CEC Tokyo に設置しているデジタル印刷機

① Oce VarioStream 7170(モノクロトナー)
少量多品種の帳票印刷や様々な用紙対応を必要とする小規模から中規模の印刷向けに最適な連帳デジタル印刷システムで、圧着紙やラベル紙、薄手のプラスチックカード、合成紙など、多様な印刷メディアに対応。

② Oce VarioStream4450(モノクロトナー)
トナー方式の業務用高速連帳プリンター。

③ Oce MonoStream500(モノクロインクジェット)
1200dpi×1200dpiの解析度と80m/分の印刷スピードを両立し、高生産性を維持しながら高品質プリントを実現。

④ Oce VarioPrint i300(フルカラーインクジェット)
インクジェットの特性である高い生産性・低い生産コストと最大A4両面300ページ/分のスピードに加え、「ColerGrip(カラーグリップ)」により幅広い用紙対応を実現。
※「ColorGrip=ベースコート剤」

⑤ Oce ColorStream6000(フルカラーインクジェット)
モノクロ、フルカラー、特殊インク用の6色まで設定が可能で、MICRやセキュリティインクなどを使用して特別な価値を付加出来ます。
※「MICR=磁気インクによって、印字された文字を読み取る装置」

⑥ ImageStream 2400(フルカラーインクジェット)
用紙幅762㎜のロール紙に最大毎分160mの両面印刷が可能なフルカラー高速インクジェットプリンター。オフセットコート紙(アンカー剤無)にも対応。

⑦ imagePRESS C10000VP(フルカラートナー)
2400dpiの高精細画質を高速で出力(A4:100枚/分)で、350g/㎡の厚紙やコート紙も高速印刷が可能です

その他、「Horizon製の製本機」も設置されています。

インクジェット印刷機の今後

 事前見学で見ていたImageStream2400はアンカー剤を塗布しなくても一般コート紙に印刷が出来ることや、VarioPrint i300ではアンカー剤を塗布することの出来るユニットを組むことで、印刷用紙に幅を持たせる事が出来るなど新しい知識の習得が出来ました。
 また、ColorStream6000とHorizon製の製本機との組み合わせで、異なる版型(サイズや頁数)のものを同時に印刷し、バーコード管理で製本までこなすという「オンデマンドブック生産フロー」ゾーンでは、実際に本が出来上がるまでの工程の見学もさせて頂きました。
 説明会の中の話では、今後のトナーとインクの消費量予測で、2013年は圧倒的なトナーの消費量であったが、2018年でほぼ同量の消費となり、2019年ではトナーとインクの消費量が逆転すると予測されていました。これはインクジェット印刷機に対する需要の高まりがあり、それに伴い今後、インクジェット印刷機の新商品開発・発売がされていくからだと思います。
 見学会の最後には、B2サイズに対応した転写プロセス式の水性インクジェット印刷機「VOYAGER(ボイジャー)」の紹介ビデオが流され、デジタル印刷の技術進歩と今後の新商品(特にインクジェット印刷方式のデジタル印刷機)に大変期待が持てる見学会となりました。

宜しければ、皆様も一度CEC Tokyo を見学されてみてはいかがでしょうか? 色々と刺激を受けることと思います。
見学に当たっては完全予約制とのことです。詳しはCEC Tokyo のサイトでご確認ください。 

⇒ http://www.canon-pps.co.jp/cec/index.html

 

知ってる? 名刺の厚さ

ダイヤルゲージ
ダイヤルゲージ

入社ン十年、そこそこ長い間、「紙」という素材に携わってきましたが、最近、名刺に使う紙についてのお問い合わせが多くなっているような気がします。
オンデマンド印刷機(プロダクションプリンター等)が、これまで紙との係わりが少なかった企業や個人にも広く導入されていることが要因の一つかもしれません。

その中でも、特に紙の「厚さ」についての質問が少なくありません。
お問い合わせに対しては、これまでの実績や経験をもとにお答えをしておりましたが、日頃いただいている各社様の名刺が、実際どのくらいの厚さなのかを確認したことがなかったので、今回、まとめて測定してみることにしました。

測る! どうやって?
あるのです。手軽に紙の厚さを測る機器が。
今回は、当社で良く使われているダイヤル式の機器で測ることにしました。

ちなみに、オフィス内で良く見かける素材を測ってみると
・コピー用紙が0.09mm、年賀はがきが0.23mm、
Campusノートの表紙が0.27mm、日経新聞が0.06mm。
新聞紙は、薄くてもコシがあり丈夫です。大きな新聞を細長く折ることで、狭い
電車の中でも気軽に読むことができるのは、その特徴のお陰かもしれません。
(車内で新聞を読んでいる人が、めっきり少なってしまいましたが・・・)

名刺はこれまでいただいた中から、無作為に選びました。
その数、60枚。
製紙、複写機、印刷、鉄道、生保、銀行、テレビ局、通信、コンサルタント、病院、ガス、スポーツ関係など、業種は様々です。

さてさて、結果は!・・・
測った名刺の中で、最も薄かった名刺が 0.18mm、で6社、
対して、最も厚かった名刺が0.31mmで、2社、でした。
それぞれの厚さの枚数は、下記の通りです。
紙の規格(米坪)としては、186.1g/㎡ ~ 256.0g/㎡といったところです。

 

名刺の厚さ(60枚無作為抽出したもの)
名刺の厚さ(60枚無作為抽出したもの)
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『騎士団長殺し』の用紙(2017年上半期書籍に使用された紙)

紙の販売に長く携わっていると、自分が取り扱っている商品が世の中でどんな使われ方をしているか気になるものです。名刺、パンフレット、中吊り広告など、目についたものは触って、「なるほど、こんな用紙を使っているのか」とか「この用紙をこんな使い方をするのか…」などと思ったりしながら、銘柄や品種の特定を勝手にしてしまう……。まぁ、一種の職業病のみたいなものですね。

 

そんな私が今回ご紹介したいのは『書籍用紙』。
書籍には様々な用紙が使用されているのです。特にハードカバーの書籍となると、カバー、表紙、帯、見返し、扉には特徴のある用紙が使用されていることが多く、本の内容に合わせたり、新商品や意外な商品を使用したり、と大変興味深いものです。
           
もちろん特徴のある印刷加工で表現する場合もありますが、紙選びも装丁家(ブックデザイナー)の腕の見せどころです。

と言うわけで今回は、2017年上半期書籍ランキング上位の本に使用された特殊用紙について、気になったものをご紹介いたします。

 

■村上春樹著『騎士団長殺し:第1部 顕れるイデア編』、『騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編』

個人的には、上半期最も驚かせてくれた書籍で、村上春樹さんの最新作。いったいどんな用紙を使用しているのか楽しみにしていました。(内容じゃなくてご免なさい!ハルキさん)
本を開いた瞬間、「シブイ…」と思わずつぶやいてしまった2冊です。   

見返しと扉に使用されたのが「ジャンフェルト」
色は扉に<絹>、
「第1部 顕れるイデア編」の見返しに<濃松葉>、
「第2部 遷ろうメタファー編」には<ぶどう>が使用されています。

1997年に発売されたジャンフェルト。紙のサンプル帳でもしばしば目にしていた私にとっては、さほど珍しい用紙ではありませんでしたが、深みの強い色味を使用しているのに加え、どっしりと構えたエンボス感が落ち着いた大人の演出をしていると思いました。

 

■佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』
          
表紙は「OKミューズコットン/りんどう」
見返しに「モフル/シトロン」
扉に「ポルカレイド/そば」が使用されています。

優しいエンボスと柔らかなレモン色の見返しがとても印象的でした。
最近、ヨーロッパの用紙に触れる機会があり、日本の用紙に比べてボサっとしていて、白い紙と言いながらも1枚のどこかしらに黒いチリが混じっている。いい意味で人間的なラフな雰囲気のある印象を受けました。
そんな雰囲気にレイド模様を加えたのが「ポルカレイド」。
思えば表紙に使用された1959年発売の「OKミューズコット」ンもレイド模様。
2012年発売の「ポルカレイド」と合わせ、新旧レイド模様の用紙を共演させている一冊としてご紹介させて頂きました。(これぞ、マニアな視点ですね。笑)

本の内容だけでなく、装丁にもご興味をお持ち頂けましたでしょうか。
今後も身の回りで使用されている用紙について注目し、また皆様にご紹介していきたいと思っています。
それではまた!

紙と歴史のよもやま話-最終回「幾つかの思い出」

 それから思い出すのは公害問題です。今から五十年程前の事ですが製紙工場から出る排水の問題が静岡県の「田子の浦ヘドロ事件」と呼ばれる大公害問題になったのです。未処理の排水が田子の浦湾に垂れ流され海は汚れ悪臭が漂いヘドロで魚は住めなくなり、空気も汚く全く酷い有様でした。日本全体が公害に対して鈍感だった時代です。この頃から製紙業は公害企業というイメージが出来てしまい未だに払拭されていません。
 今日の製紙工場の排水処理設備は充分なものがあり、煙突から出る煙(ほとんどが水蒸気)に臭いは無く相当な対策を施しています。生産上の公害対策ばかりでなく製品そのものに対しても環境が意識されています。
 紙一トンに対し材木十トンが必要と言われ森林を破壊しているかのような話も多かったように思いますが、原料の大半は植林木と廃材(主に住宅建設の)、それに古紙です。今では製紙産業は環境対策の優等生と言ってもいいでしょう。

 

古紙の偽装、バブル……激変する世の中

 思い出すついでにあまり良くない出来事が浮かんで来ました。古紙の配合率を偽装した事件です。販売しながらも「こんなに古紙(特に上白)があるわけない」と思っていました。配合率から見て品質が良すぎました。古紙の入った紙を使えば全て善という風潮、古紙配合率は多いほど良いという誤解、古紙百%品を使用する事の強制、古紙の入っていないものへの忌避感情などが背景にあったのだろうと思います。ご存知の通り日本は古紙回収率と古紙利用率は世界のトップレベルです。植林にも熱心です。ゴミゼロ運動にも力を入れています。
 年号が平成になる少し前、世の中はバブル景気で沸き返っていました。贅沢品が飛ぶように売れ絶好調でした。石油パニックの時代のような紙の買占めがあったわけではありません。ただ土地の買い占めは異常でした。土地転がしや株で儲けた人が多く出ました。忙しくて人手が足りません。アルバイトを採用するのも大変で、就職してくれたら車を進呈すると言い出す企業まで現れました。あの頃は確かに忙しく昨日印刷したものが今日は刷り直しという事がしばしばありました。皆が儲かっているから気にしない気にしない。製本途中なのにもう再版が決まったりして、世の中全て思うように行く気分でした。
 そう言えば「○○PANしゃぶしゃぶ」なるものがあって官僚の接待に使われる事件がありました。あの頃の日本はどうかしていたのです。金儲けと贅沢に味を占めてしまいました。
 しかしバブルが弾け世の中は激変します。土地、株、会員権等の値段が暴落しました。借金は高金利のまま高止まり。人手不足は人余りに。これを乗り切るのに相当の時間がかかりました。「こんな事ならあの頃もう少しいい思いをしておけばよかったなあ」と今は思います。

 

紙の歴史の中に答えが

 厳しい時代に突入してから長い時間が経ちましたが、本当に厳しくなったのは最近の事です。戦後減ったことが無い紙の消費量が明らかに減り始めました。
 紙の需要は減ってはいますが当分の間は必要不可欠なものとして使い続けられるでしょう。ではどのくらい減るかは想像もつきません。半分くらいになるのでしょうか。四十年くらい前が今の半分です。人口も四十年後には三分の二くらいになると予想されていますから、半分になっても不思議ではありません。実際問題そんな先の事は考えられませんが、今からどう対処するか行動に移さないといけない時代です。紙の歴史の中に答えがあるかもしれません。
 面白いと思った事だけを書きましたのであまり役に立つ事は無かったかと思いますが、最後までお付き合い下さいましてありがとうございました。

 

紙と歴史のよもやま話-15「戦後にあったあれこれ」

 ようやく統制撤廃が実現し完全自由化への動きの中、製紙業界に於いて大事件が発生しました。1949年(昭24)GHQによって財閥解体が行われ王子製紙の分割が余儀なくされたのです。王子製紙は財閥とは違いましたが圧倒的なシェアーがあったため分割が命令されたのでした。苫小牧製紙、十条製紙、本州製紙の三つになったのです。合わせて幾つかのメーカーが独立しました。苫小牧製紙は後に王子製紙と改称しました。
 戦後の経済復興の時期、三白(さんぱく)景気と呼ばれる時期がありました。三白とは紙、砂糖、繊維(一説にはセメント)の事です。いずれも白い物で非常に需要が旺盛で飛ぶように売れたと言われています。この時期に紙を扱った者は大儲けをしました。
 その頃活躍した大先輩に聞いた話ですが、「トラック一杯に紙を積んで昭和通りを行くと、浅草に行く前に全部売り切れた。通り沿いの印刷会社に『紙は要らんかね』と行商する。その時値段を決めて先に現金を貰ってから荷物を下ろす。もし下ろしてからお金を受け取ろうとすれば必ず値切られるからだ。風呂敷一杯の現金を持って銀座で豪遊したこともあった。『今日は俺のおごりだ』と知らない客の分まで払った事もある」と語っていました。

 

1000枚で「1 連」
1000枚で「1 連」

業界の変化

 大変な景気だったのですが文字通り一時的なもので、豪遊に耽った者は皆落ちぶれ、真面目な者だけが生き残り経営の基盤を作りました。
その後のメーカーの発展と合併はご存知の通りで王子製紙は神崎や本州を、十条は山陽国策それに大昭和を統合して日本製紙になりました。流通も大手は積極的に合併を行い経営の安定に努めて来ました。
 私が紙業界に入った頃「キロ連」という言葉が残っていました。キロ連に対する言葉は「ポンド連」です。キロ連は千枚で一連、ポンド連は五百枚で一連を表します。「連」はREAMの日本語訳です。REAMは五百枚(又は四百八十枚)を意味する英語です。つまり昔は五百枚で一連だったのです。しかし十進法は便利ですから千枚で一連とするようになったのです。キロは千という意味ですからはっきり区別するため敢えてキロ連と表現しました(「連」はレンと読みます)。
 仕事に慣れて来た頃、石油パニックがありました。石油不足だから火力発電が充分出来ません。
街のネオンは消え、テレビの深夜放送が無くなり、燃料不足で飛行機が欠航した事もありました。ガソリン・灯油の値上げは当然ながら、他のあらゆるものの値段が上がりました。

 

石油パニック……紙不足

 そんな中ある日テレビでトイレットペーパーの安売りの場面を「買占め騒ぎ」と報じたニュース番組がありました。すると全国で買占めが起こり、各家庭の押入れはトイレットペーパーで一杯になりました。印刷用紙も高騰しキロ百円位だった上質紙が二百円以上に値上がり、紙なら何でも売れた状態になりました。紙の生産は順調で不足するはずがありません。しかし皆さん買占めに動きました。今日入荷した紙が翌日には完売、次の入荷まで二、三週間待たなければなりません。得意先に行けば叱られるので時間を潰すのが大変でした。
 この頃やはり出版定期品は安定した入荷がありました。次に安定していたのは製紙工場から直納される定期発注品でした。当用買いの紙は手に入れるのが難しく苦労しました。如何に仕入先と良い関係を築くかが紙屋の最重要課題であることを学びました。そしてお陰様で小生の給料も倍増しボーナスも増えました。あの時は一瞬でしたが未来が明るくなりました。
パニックが落ち着いた頃もう一つ私にとって明るい出来事がありました。ポケット計算機の出現です。これには助かりました!算盤が苦手だったからです。

剣道と紙の深~イ関係

はじめまして!
㈱シオザワ ソリューション開発部の中西と申します。
私ごとですが、私は3歳から剣道を始め今年で剣道歴30年を迎えました(笑)
会社に置き換えて考えると、今から30年って、定年を超える年数なんですね……。つまりは、結構な剣歴となったということです。。。
ま、こういう私ですので、記事を書くとなれば、やはり「剣」。
そうです、今回は紙と剣道に関する面白話をご紹介しようと思います。
長く剣道を続けてきた私も、シオザワに入社してから知った意外な紙と剣道の繋がりがあるのです。

 

剣道と紙ってどこで繋がるの??

実は、剣道で使用する防具と紙に深~イ関係があるのです。
剣道の防具とは、鎧兜のような体を保護する役目を負い、「面」「小手」「胴」「垂」の4種類で構成されています。今回はその中でも「胴」についてのお話です。
「胴」とは読んで字のごとく、体の胴体部分を保護する防具のパーツです。
面と並んで体の中央部分に装備することに加え、大きいのでとても目立ちます。
よって、防具の中でも花形の部位と言えるでしょう。
では、実際に胴の現物写真をご覧いただきましょう!

こちらは実際に私が使用している胴の写真です。
 
なんとなーく見た事ありますかね??
「あー、これを胴と呼ぶのか!」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
中央の茶色い部分の事を、胴の中でも「胴台」と呼ぶのですが
なんと…なんとなんと!この胴台部分の素材が…
紙なんですっ!!

 

紙で作る防具の謎…

剣道のような激しい格闘技の防具に紙素材が使われているなんて驚きですよね!
どうやって紙で防具を作るのか…気になりますよね!

この胴の素材で使用される紙は正式には「バルカナイズドファーバー」と呼ばれる素材で
丈夫な紙をいくつも貼り合わせて圧縮し、樹脂で固める製法によって作られているんです。

ここで、製作途中の胴台部分だけの写真をご覧ください。
左が表面、右が裏面の写真になります。


この胴台に胸のパーツを組み合わせて胴が完成します。

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紙と歴史のよもやま話-14「昭和の紙業界」

 1933年(昭和8年)に王子、富士、樺太の三社は正式に合併しました。もうそれ以外選択肢は無かったほど景気が悪く各社ともに追い込まれていたのです。しかし王子の財務内容は比較的良く他社よりも体力があったと言われています。合併後の社名は王子製紙です。圧倒的なシェアーを持つ巨大製紙会社の誕生で市況は安定し利益も出るようになりました。景気が良くなったのも幸いしました。絶妙のタイミングだったのかもしれません。
この時代の事は日清・日露戦争、第一次世界大戦、関東大震災、昭和恐慌など歴史全体を見ながら考えると極めて教訓に富んだ時代だったと思います。
 1927年(昭2)に東京渡辺銀行が倒産しました。事の発端は時の大蔵大臣片岡直温(かたおかなおはる)が国会で「ただ今、渡辺銀行が破たん致しました」と口を滑らしたところから始まります。渡辺銀行は厳しい経営難に陥っていたものの営業は継続していました。間違った情報が本会議中の片岡に届けられてしまったのです。片岡の発言を受けて取り付け騒ぎが起こり渡辺銀行は完全に破綻してしまいます。取り付け騒ぎと言うのは、多数の預金者が銀行から現金を引出すため我先にと殺到する騒ぎの事です。群集心理で人々は殺気立ちます。

夜逃げをした祖父

やがて全国でも取り付け騒ぎが起きました。騒ぎを鎮静化するため日銀は紙幣の印刷を増やしました。しかしとても間に合わずとうとう片面印刷の紙幣まで発行しました。
東京渡辺銀行の倒産で私の祖父は預金を引き出すことが出来ず、全財産を失い借金だけが残り夜逃げ同然の引越をしました。もう全く貧乏の極みだったと父は言っておりました。
 その後、台湾銀行が休業に追い込まれ鈴木商店が倒産します。まさに大不況が訪れたのです。鈴木商店は日本を代表する大商社で台湾銀行から膨大な借り入れを行っていました。このような時代ですから製紙会社の経営が苦しくなったのは当然と言えば当然です。
1937年(昭12)日中戦争が始まりました。それが泥沼化しアメリカとも戦うようになって総動員法が成立し、国策によって製紙会社は強制的に合併をさせられます。王子製紙もいくつかのメーカーと合併し巨大になりました。他にも同様の合併会社が誕生し紙は政府によって完全に統制され、自由に手に入らないし自由に売れない状況になりました。実績に応じた配給制度になったのです。新聞社も出版社も年々部数の削減を余儀なくされました。米や砂糖と同じく貴重品になったのです。もっともこの頃はあらゆるものが手に入りにくい状況でした。

 

1945年(昭和20年)の戸越公園駅
1945年(昭和20年)の戸越公園駅

敗戦、統制の撤廃

そして戦後、国内の製紙工場は戦火で大きなダメージを受け、満州や樺太の工場を全て失いました。生産量は大激減。そのため紙の統制は暫く続きました。
統制の撤廃は1946年(昭和21)に実現しましたが完全な自由化が実現したのは1951年です。
この統制撤廃には業界の大運動があって初めて実現したと言われています。当時の政府は紙の専売を目指していました。専売と言っても若い人にはピンと来ないかもしれませんが、私の幼い頃は米、塩それにタバコが国による専売でした。勝手に作って勝手に売ることは出来ません。同じように紙も専売制にして国家財政に寄与させようとしたのです。
当時は「配給公団方式」と呼んだようです。それは極端に需給のギャップがあったせいでもありますが、商権を国に奪われる事になりますから業界は猛反対しました。そこにGHQが経済に国があまりに関与すべきではないと政府案に反対しました。GHQの命令は絶対ですから自由化が認められ次々と商権復活がなされたのです。
お蔭で私の父も生きて行く糧を見つけることが出来、今日の私も居るという訳です。

紙と歴史のよもやま話-13「日本の近代製紙業の発展」

 さて我が国の近代製紙業の発展に眼を向けてみましょう。明治の初めに幾つかの機械式洋紙製
造会社が設立されました。しかし紙を作ってみたものの思うようには売れず工場は在庫の山であったようです。1876年(明治9)地券の本格的な発行が行われました。地券とは土地の所有を明らかにしたお役所の証明書です。所有権を明確にして税金を取ったのです。この地券のための紙=地券紙は膨大な量を必要としたので製紙会社には正に恵の雨でした。
 更に西南戦争(1877年)の勃発で新聞の発行が増えてようやく一息入れる事が出来るようになりました。今日では新聞は新聞社で印刷するのが当り前のようになっていますが、初めは全て外注印刷でした。新聞社が銀座に多かったので印刷会社も銀座に多かったと言われています。この頃になると製紙会社は自ら行っていた販売(直売)活動をやめて、大きな商店に委託するようになりました。販売をお願いすると言いながら価格決定権は製紙会社にあり、しかも販売店(売捌き店)の帳簿等の検閲権も製紙会社が持っていたようで、売って下さいと言うより売らせてあげようという契約内容でした。

 

一から始める洋紙の販売

 しかしながら和紙や輸入紙との競争は避けられず、やはり販売店の売る力に頼らざるを得なくなります。販売店と言っても元々紙屋だったわけではありません。一部の和紙の販売店や雑貨商が洋紙商になるなど様々でした。和紙の販売網は出来上がっており長い伝統を持っていましたが、洋紙の販売は全く一から始めなければなりませんでした。
 明治10年代の東京の洋紙販売店は十数社程でした。やがて需要も大きくなり20年代には四百社の洋紙販売店があったと言われています。この頃からメーカー直接取引の販売店(元売り)とそこから仕入れて売る二次店とが共存し、いたる所に紙を届ける事が出来るようになりました。しかしメーカーの経営は辛酸を極め販売店からの前借りなどは当たり前の事でした。
 その頃の製紙機械のいわゆる抄き幅は1m50㎝くらいのものでした。洋紙の生産が始まってから10年後でさえ抄紙機は5台しかありません。しかも抄速は20m~40m程度。これは1分間のスピードです。現代の機械は秒速で20m位は出ます。秒速ですのでお間違え無く。
 ゆっくりではありますが製紙産業は発展しました。和紙の生産も増えましたが大正の初めに洋紙は和紙の生産を上回ったようです。木材パルプの開発で洋紙は品質も値段も優位に立つことが出来ました。


製紙会社が次々と

大正時代に入るとアート紙が作られるようになります。懐かしいと感じる方も多いと思いますがNK=日本加工製紙は1917年(大正6)の創業です。同じ頃マニラボールが開発されたり、その少し前あたりから本格的な段ボールの生産(現在のレンゴー)が始まったりと新しいものが開発されて行きました。新しい製紙会社もどんどん生まれました。
第一次世界大戦で需要は増え、輸入紙は減少し市況は沸騰しましたが、戦争が終わると大反動が来ました。そこにまた関東大震災(1923年)が発生。そして昭和の金融恐慌(1927年)、アメリカに始まった世界恐慌(1929年)があり国内における過当競争も激しくなって、メーカー各社の体力の消耗は限界となりました。そして遂に大事件が起こります
1929年、富士製紙の筆頭株主であり専務だった穴水要七が亡くなり、所有していた株が王子製紙に譲渡されてしまったのです。その株を最も欲しがっていたのは大川平三郎でした。彼は富士と樺太工業の社長でしたから富士の株を手に入れ、両社を合併させ王子に対抗したいと考えていました。穴水専務の通夜の晩、株が王子に譲渡済みと知って大川は絶句したそうです。

FSC®認証マーク付き印刷物を作りたい!

「FSC」と聞いて皆様は何を思い浮かべますか?

――富士見町スポーツクラブ? 船橋サッカークラブ? 何だろう……

紙屋に訊いてみてください。
誰もが迷うことなくこう答えるはずです。「森林認証でしょ」と。
紙屋にとってはそれほどにこのアルファベット3文字は馴染みが深いのです。

ということで、今日のお題は「FSC認証」。
まずはFSC認証とは何かを簡単に説明したいと思います。

■FSC森林認証
 FSCは世界中に広がり、森林認証には適切に森林を管理する「森林管理の認証」【FM認証】と、認証森林の林産物を材料とした製品(木材や家具製品、紙、本などの印刷物など)であることを認証する【CoC認証】の2つがあります。

■CoC認証(Chain of Custody)システム
 認証を受けた管理森林から生産された木材が、加工・流通工程で森林認証を受けていない他の木材製品と混ざることなく、明確に区別された上で管理されていることを検証し、そのことが審査機関から認められると認証が発効されます。基本的に生産・加工・流通のすべての段階で所有権が移転(普通の経済行為、売買など)した先の企業が認証を取得する流れになっており、これが末端までチェーンのように連なることからChain of Custody(管理の連鎖)と呼ばれています。
 そのため、全ての中間事業者が認証を受け、かつ認証基準に沿った運用を行っていることが必要ですので、認証を受けていない事業者が1社でも存在しているとCoC認証は成立しませんし、FSC認証のトレードマーク(フリーツリーマーク)やFSC認証などの文言は使えなくなります(万が一そのような状況で、マークや文言使用することは重大な不適合要件になります)。

 

■FSCのヴィジョンとミッション
 FSCジャパンのホームページには、その理念と使命についてこう表明されています。(以下「FSCジャパン」のHPより抜粋)
『FSCは、将来世代の権利や需要を損なうことなく現在の世代の社会的、環境的、経済的な権利や需要を満たすことをビジョン(理念)とし、環境保全の点から見ても適切で、社会的な利益にかない、経済的にも継続可能な森林管理を世界に広めることをミッション(使命)としています。』

と、まあ、崇高な理念の元に世界的に展開している大きなムーブメントになりつつあるわけです。
詳しくは「FSCジャパンのHP」をご覧ください。

 近年では特にCSR活動の一環として注目を集めるようになってきています。事実、企業の年次報告書、CSRレポート、カレンダーなどにFSC®トレードマークが印刷されているのをよく見かるようになりました。(某シアトル系コーヒーショップの紙袋やホームセンターに置かれている木材などにも。)
企業の社会に対する姿勢を表現する上で、わかりやすいひとつのツールになっていると言っていいでしょう。

■FSC認証のトレードマーク付きの印刷物を作りたい!
 もし「FSC認証のトレードマーク付きの印刷物を作りたい」というご希望がありましたら、是非当社にご相談ください。
 先ほど「CoC認証システム」のところで述べましたが、FSC認証を取得するには「全ての中間事業者が認証を受け、かつ認証基準に沿った運用を行っていることが必要」となります。これが案外とハードルが高いのです。
 印刷物を作るとなれば、紙を製造している製紙会社は勿論のこと、その紙(FSC認証紙)を流通する私ども紙の商社も、そして印刷を施す印刷会社も全てFSC認証を取得済みの企業でないとなりません。
勿論私どもシオザワはFSC認証企業ですし、紙の取り扱いから印刷物の製作まで全てに対応できます。
「FSC認証紙ってどんなのがあるの?」
「お任せしたら、業務に携わる企業全てをFSC認証企業で揃えられるの?」
など、アレコレと確認したい事項もあるかと思います。
是非、お気軽に当社にお問い合わせください。
丁寧にご説明させていただきます!

紙と歴史のよもやま話-12「古き良き時代の映画の話」

十戒が刻まれた石版を持つモーゼ
十戒が刻まれた石版を持つモーゼ

 ここからは年配の方には懐かしい映画「十戒」のお話です。主演はチャールトン・ヘストン、監督はセシル・B・デミル。旧約聖書の『出エジプト記』に書かれている物語を映画化したものです。三千三百年ほど前の事。モーゼは神の導きによって奴隷として使われていたヘブライの人々数万人(!?)をエジプトから脱出させます。砂漠と荒野をさまよい遂に海に差しかかりました。後ろを見るとラムセス2世の軍隊が追って来ます。もうだめだと泣き叫ぶ人々の前でモーゼは神に祈りを捧げます。するとどうでしょう、たちまち風が吹き海の水を吹き飛ばして道を作ってしまったではありませんか。人々は我先に前へと進みます。そして最後の一人が対岸にたどり着いたとき、風が止み海が戻って来ました。ラムセスの軍勢はあと少しのところで悉く海に飲まれてしまいました。こうして最大のピンチを切り抜けたモーゼはやがてシナイ山の麓にたどり着きます。そこでモーゼは神の声を聴くために山に登りました。

十戒を石板に刻む

 モーゼが四十日間山に籠り祈りを捧げていると神が語りかけて来ました。「汝殺すなかれ、汝姦淫(かんいん)するなかれ、汝盗むなかれ・・・」そしてその言葉を炎で岩に刻み付け2枚の石のプレートにしてモーゼに与えます。これがモーゼの「十戒」です。こうしてヘブライの人々が安住の地としてたどり着いたのが今のイスラエルの付近です。
 次にご紹介するのは映画「ベン・ハー」です。これも大ヒットした作品でアカデミー賞を11部門で受賞しました。主演は同じくチャールトン・ヘストン、監督はウイリアム・ワイラー。
ユダヤ人のベン・ハーはローマの軍司令官のメッサラに激しい恨みを持っていましたが、復讐のチャンスが訪れました。戦車の競争に出場することになったのです。アラブの大金持ちのイリデリウムが彼を応援します。彼の馬がベン・ハーの乗る戦車を引くからです。イリデリウムは優勝を確信し箱にたっぷり金貨を詰めてメッサラのもとに向い賭けを申し込みます。

粘土板の契約書

 「不敗を誇るローマの軍司令官、どうです賭けをしませんか」と金貨の詰まった箱を見せながら掛率の交渉が始まります。決まった掛け率は四対一。そして掛金の話になると周りから十とか百とかの声が上がります。するとイリデリウムは不機嫌そうに席を立ち「小さい、小さい。見損ないましたぞ軍司令官、ローマもたいしたことないですな」と言って帰ろうとします。プライドを傷つけられたメッサラは遂に千タラントの莫大な賭けを受ける事にしました。
 この時イリデリウムが何やらメモのようなものを書きます。書いているのは粘土板のようです。それをメッサラに渡しました。読んだメッサラは指輪を押し当てサインとします。これにて契約成立。メッサラが負けた場合に支払う額は現代のお金でざっと二千億円。結果はご推察の通りベン・ハーの勝利。宿敵メッサラは戦車から落ち死んでしまいます。
 この話は二千年前の話(映画)ですが、実際に粘土板(蝋板も)はローマでは広く使われていました。粘土板(蠟板)は木枠に入っており二つ折りの形となっていて、後世の書籍=上製本の表紙の原型になったと考えられています。
 他愛もなく映画の話をしましたが昔の人は岩、葉、木、粘土、蝋、布、革、そしてパピルス、パーチメント、様々なものに字を書いて来たことが分かります。比較してみると紙は他のどの材料よりも便利で優れた書写材ということが言えるでしょう。
 東洋において紙は書くためにだけ利用されたのではありません。特に日本においては障子や襖など建築材、包装材として幅広く利用されて来ました。水引のような芸術的なものが作られたり、懐紙として持ち歩いたり鼻紙としても使われるなど実に多彩な使われ方をしています。

紙屋から見たISOT(国際 文具・紙製品展)見学レポート

ISOTとはあらゆる文具・紙製品、オフィス用品が一堂に出展する日本最大の展示商談会です。本展で初めて発表される新製品や、オリジナリティあふれる商品、日本で未発表の海外製品などが多数出展されます。会期中に「日本文具大賞」の発表もあり、毎年メディアにも多数取り上げられます。今年は東京ビックサイトの東ホールにて2017年7月4日(水)~7月6日(金)の3日間開催されました。


紙にこだわる商品たち


今回は紙屋として「紙」にフォーカスをあててISOTをレポートしてみようと思います。
まず、文具大賞のデザイン部門グランプリに輝きましたぷくぷく堂様の「あなたの小道具箱」(各4色)
http://punpukudo.jp/blog/?p=153
こちらは北越紀州製紙の「パスコ」を使用した道具箱で、パスコは約50年は持つといわれている丈夫で頑丈な紙です。(パスコに関する詳細は長くなるのでまた別の機会に記事をUPしたいと思います。)
http://www.hokuetsu-kishu.jp/products/pf/pasco.html

 

フルース紙を使用したノート
フルース紙を使用したノート

フールス紙に関して


 続きまして、一般展示ブースで気になった商品として、港区新橋にあります印刷会社/株式会社河内屋様の「KUNISAWA」という高品質のノートシリーズを挙げたいと思います。こちらの商品には本文に「OKフールス紙」が使用されています。フールス紙は「印刷の仕上がり」よりも「書く」ことに重きを置いた用紙です。インクの吸収性に優れ、裏抜けせずに万年筆や鉛筆との相性が非常に良いのが特徴です。
 今回の出展企業のノートや手帳にもフールス紙を使用している商品が多く見られました。一般的な上質紙を使ったノートでも良いのですが、デジタル化の流れなのかで紙に書くという行為が特別な作業に昇華しているのでしょうか? 「より心地良く書ける!」が重視されている傾向にあると感じました。
 ちなみに私はモンテルキアという紙がお気に入りです。A2マットコート紙の1.5倍の厚みがありながら柔らかさもあるので紙がめくり易いです。書き心地も非常に良く、日本製紙の石巻工場で作られて東日本大震災復興支援商品になっていました。ストーリーとしての背景がある紙というのも良いですよね。

木の紙
木の紙

木の紙に関して

 紙の商社として日々仕事をしていると毎年数回は「木目調の紙は無いの?」という問い合わせを頂きます。数社メーカー様はあるのですが今回は展示ブースが出ていましたのでお話を訊いてみました。港区芝にある株式会社クレコ・ラボ様です。レーザープリンターとインクジェツトプリンターで直接印刷できる木の紙がA4サイズとハガキサイズでラインナップされており、片面木で片面紙の商品や両面木の商品があり、木自体もひのきや赤松があるようです。
 製造方法は「木」を薄くスライスして、そのままだと割りばしのように割れてしまうので紙と貼り合わせているそうです。その為、両面木の紙は紙を真ん中に挟んでいるとのことです。印字適性に関してもレーザープリンターで綺麗に印刷できるように、表面を平滑にしてトナーがムラなく定着するように凸凹を無くしているとのことです。
 廃材の木を使用した「木の紙-Rプロジェクト」や全国の木を使用した「木の紙-47プロジェクト」等の企画商品も制作していて、オリジナルのノベルティに落とし込めるようになっています。

最後に(今回の展示会を見学して)

 紙は毎日使う消耗品なので価格が安いに越したことはないのですが、一方で、昨今、紙をデジタルと対比して使う傾向があり、より高品質なこだわりを持った商品が求められているように感じます。ただ、あまりに高品質で、こだわりがあり過ぎても日常使いには不向きになってしまいますので、お手頃な価格で程良くこだわりがある商品というのが良いのかなと思った次第でした。
 弊社で取り扱いしております。「ナカプリバイン/水平開きノートⓇ」ですがこちらはどのページを開いても180度平らに開ける水平開き製本の新時代ノートです。
【メリット】

  ・ページを開いた時のノートの膨らみの影ができにくいので、キレイにコピー&スキャンが出来ます。
  ・見開き2ページを1枚の紙として使えるから図面を書いたり、アイディアを整理する時に最適です。
  ・特殊な糊で接着されているのでバラバラにならず、切り離しも簡単、切り離したペラ1枚の紙を壁に貼ったり

   などブレインノートとして使うことも出来ます。

機能的でお値段もお手頃の「ナカプリバイン/水平開きノートⓇ」。

詳細は2017年5月25日の記事「「水平開きノートⓇ」 オリジナルデザインで制作します」をご覧ください。

お問合せ、お待ちしております!

 

紙と歴史のよもやま話-11「印刷術の発明と紙生産の機械化」

グーテンベルクの聖書
グーテンベルクの聖書

 現存する四十二行聖書は約五十冊。日本では慶応大学が上巻を所有しています。ところで全くの余談なのですが、グーテンベルクの聖書の写真を雑誌等で見る事がありますが、行数を数えてみると四十行しかない事があります。これには理由があって最初から四十二行を決めていたわけでは無く途中から四十二行にしたからなのです。四十二行にすれば全体のページ数を減らせるし、紙も節約でき印刷回数も減らせるという経済的メリットを計算したのです。
 印刷がどんなものか見たい人々、特にお金を出したフストが早く刷って見本を見せて欲しいと要求したので、取り敢えず四十行の版で印刷したのです。ですから全ページ四十二行で統一することは出来ませんでした。このことは組版を最初のページから順に行ったのではなく、幾つかの班に分け違う箇所から同時進行的に活字を組み印刷したことを伺わせます。
 印刷術の発明は世の中を大きく変えて行きます。需要は尽きることなく増え続け、紙の需要もますます大きくなります。数十年後ちょっとした発明がありました。イタリアでイタリック文字と呼ばれる書体を斜めにした活字(筆記体)が作られたのです。何が画期的かと言うと、可読性が良いので字を小さくすることが出来たのです。結果として本はとても小さくなりました。コストは安くなるし軽いので旅行に行く時も持って行けるようになったのです。それまでの本は大きく重くて持ち上げるだけでも一苦労。そのような事もあって印刷と出版はイタリアのヴェネチアが最も盛んになりました。それは製紙業も同様でした。

製紙業の近代化

 産業革命の時代まで紙は昔と同じ方法で作られていました。そしてようやく1719年フランスのレオミュールが木から紙が出来るという論文を発表しました。蜂の観察から思い付いたと言われています。しかし彼は論文の発表だけで実用化しませんでした。百年後の1840年になってドイツ人ケラーが木材パルプの開発に成功しました。そして1844年に木をすり潰すグラインダーを発明し実用化に成功、大量生産が可能となりました。
 抄紙機の開発は1798年にフランスのロベールが機械式紙生産の特許を取得したところから始まります。どんな機械だったと言うと家庭のお風呂くらいの桶の上にエンドレスに回転する簾を置き、紙料を回転ファンによって汲み上げザブザブと掛ける仕組みでした。
 ロベールは製紙会社に勤めていましたが社長のディドーが給料もボーナスも大幅に増やすと言うので抄紙機の特許を譲り渡しました。
 ディドーは一儲けしようと思い義弟のガンブルと言う男とともにイギリスに行きました。ガンブルはドンキンという人物と改良を進め更に新しい特許も取りました。

フランスで発明、イギリスで実用化

 1804年頃フォードリニアと言う人が特許を買い取り実用化を始めました。それで長網抄紙機の事をフォードリニアマシンと呼ぶようになります。この辺りの詳しい経緯は学説によって微妙に違いがあり、例えばガンブルはディドーの持っていた設計図を盗みイギリスに行ったとか諸説あります。要するに1800年前後にフランス人のロベールが発明し、イギリス人のフォードリニアが実用化したという事です。また1809年には丸網抄紙機が開発されました。因みに1840年頃のイギリスではが200台くらいの抄紙機が動いていました。もちろんドイツでもアメリカでも 抄紙機は広く普及します。初期の抄紙機でも生産性は十倍以上あったと言われています。
抄紙機の開発と木材パルプの発明による大量生産が1800年代の中頃から始まったわけです。では紙が出来る前、人は何に字を書いていたのでしょうか。木簡、竹簡、パピルス、パーチメント・・・・話は突然3300年前に遡ります。

紙と歴史のよもやま話-10「グーテンベルクの四十二行聖書」

 話をヨーロッパに転じます。紙は古布、古着等から作られていましたが、需要が増えるにつれて原料の不足が深刻な問題となりました。遂には墓を掘って埋葬された死者の服をはぎ取った不届き者まで現れました。エジプトのミイラまで利用したそうです。   
 古着の回収は現代の古紙回収と同じです。現代と同じように新しいファッションの流行があれば古着が多く発生します。回収を考えると大都市は紙の生産に都合の良いことが分かります。当然水は必要ですから川の側が良い訳でそのうち水の力を動力として利用するようになります。また船による輸送が発達すると都市から離れていても製紙工場は稼働可能となりましたので、郊外に大規模工場も作られるようになりました。
 さて集めた服は白く漂白する必要がありますが、女性の好きな赤色だけは白くできませんでした。勢い倉庫に溜まってしまいもう限界と言う時、赤いまま吸取紙を作ってみました。これが好評で大いに売れ、それ以後吸取紙は赤い(ピンク)ものとのイメージが定着しました。吸取紙が作られる前は吸取砂が使われていました。砂を紙面の上に振り掛けて吸収させるのです。砂の掃除を必要としないので吸取紙は誠に便利な製品だったのです。

 

グーテンベルク
グーテンベルク

活版印刷術の発明

 さて紙の歴史に関連した重大発明を忘れるわけにはまいりません。ご存知の活版印刷術の発明です。1450年頃、ドイツのマインツでグーテンベルクが一文字ずつ活字を作り、これを組み合わせて印刷する技法を開発しました。組み合わされた活字は印刷終了後バラバラに戻され繰り返し使う事が出来ます。この発明は五百年の長きにわたりほとんど変わることなく使い続けられた完璧な発明だったと言えます。例えば活字の成分は鉛とアンチモンと錫ですが今でも当時とほとんど同じ配合で作られていますし、その鋳造法も然りです。インクもグーテンベルクが開発しました。誰もやった事が無いから当然と言えば当然ですが。多色刷りにも挑戦しています。
 彼が最初に手掛けたのは聖書の印刷です。四十二行聖書と呼ばれ百八十冊ほど作られました。二割くらいがパーチメント(羊皮紙)に、残りは紙に印刷されました。この時、紙とパーチメントは共存していたわけですがパーチメントの方が高級品というイメージがありました。紙はイタリア産が大半でした。当時の紙には製紙業者のサイン=透かしが入っているので誰が作った紙かが分るのです。

 

破産してしまったグーテンベルク

 グーテンベルクはフストと言う人に資金援助を受け聖書の印刷を進めました。しかしなかなか順調には行きません。数年の月日が経ち痺れを切らしたフストは「金を返せ!」と要求しました。もうすぐ完成と言う時に。グーテンベルクはビックリします。「あれは出資金(=資本金)では無かったのか」と反論します。そして裁判となりグーテンベルクは敗訴。工場を失いました。聖書はフストの手で完成に漕ぎ着け完売。完成前に予約で一杯になっていたようです。実はフストは自分の娘と工場長のシェーファーが好い仲になっていたので二人を結婚させ、グーテンベルクがいなくても聖書は完成出来るようにしていました。そのため裁判で認められたにもかかわらず、グーテンベルクを追い出し金儲けをした大悪人のイメージがついてしまいました。しかしフストはシェーファーの幼い頃から面倒を見ていた育ての親だったことを申し添えておきます。
 印刷工場はその後も数々の印刷物を作りますが、戦火に会い消失してしまいます。教会の司教同士の争いでした。そして工場の職人たちはあちこちに広がり印刷所を作りました。こうして印刷術はヨーロッパ全体へ広がったのです。聖書の印刷は実に画期的な出来事です。印刷術は世界の文明、文化を大きく発展させました。その貢献度絶大です。

紙と歴史のよもやま話-9「明治時代の製紙産業」

 新聞の発行は明治になって早くから行われるようになりました。初めは和紙に木版印刷していましたが記事が多くなり部数も増えて来ると、どうしても活字による高速大量印刷が必要になります。その為には平滑性の良い洋紙が求められます。そうして洋紙の需要が増えて行ったのですが中心は輸入紙でした。品質が優れ値段も安かったからです。
 この頃の明治政府は文書の全てを筆書きとすることを決めていました。ペンは使用不可。筆には和紙が良いので官庁需要はもっぱら和紙が使われていました。ですから洋紙の需要はあまり盛り上がりません。しかも品質がよろしくなく酷いものだったようで輸入紙に圧倒されていました。王子製紙の大川平三郎は当時の紙を「軟柔にして密ならず、容易に活字を填塞するの害あり、墨汁の透通を許し酷として印刷物の体裁を汚す」と評しています。

苦しかった王子製紙の経営

 大川は渋沢栄一の親戚で王子製紙では技術の中心人物でした。若くしてアメリカに渡って藁パルプの勉強をしてその技術を導入しました。このおかげで低コスト、高品質の紙が作れるようになったと言われています。しかしその前に官営の抄紙局が藁パルプの開発に成功し紙の一般販売に乗り出していたので、民間の製紙会社は益々苦しい経営を余儀なくされていました。木材パルプが原料の中心になるまではまだ時間がかかったのです。
 王子を支えたのは三井です。莫大な資金を注ぎ込んだ三井は経営を立て直すために藤原雷太を送り込み経営の大改革を行います。折しも金融事情の悪化と売行き不振で苦境に立たされた中で藤原は辣腕をふるいます。しかし社内の混乱もあって渋沢が王子を去る事になり、大川も辞めてしまいました。この一連の流れを評して三井の王子乗っ取りと言う人もいます。その後王子は三井から鈴木梅四郎を迎え、北海道の苫小牧に社運を賭けた工場を建設し見事に立ち直ります。王子を辞めた大川は九州製紙をはじめとして次々と製紙会社の経営に携わり樺太工業を設立、富士製紙の社長にも就任し製紙業界の中で一大勢力を築きました。

売れに売れた『西国立志編』

 板紙の生産についても触れておきましょう。日本最初の板紙製造を始めたのは印刷会社の秀英社を創業した佐久間貞一でした。1876年(明8)百万部の大ベストセラー『西国立志編』の印刷を佐久間が手掛け、表紙に使う板紙を自ら製造したのでした。他に無かったので自前で作るしかなかったのです。最初は手漉きでしたが後に東京板紙会社を設立し機械化します。この本の初版は木版刷りで全12冊の和綴じ本でした。とてもよく売れたので重版の時佐久間が拝み倒して受注に成功、活字印刷の1冊本(約800頁)にしたのです。筆者(正確には翻訳者=中村正直)は「活字による印刷で大丈夫か」と酷く心配したと伝えられています。本の中で「天は自ら助くる者を助く」という有名な言葉があります。秀英社は現在の大日本印刷です。
 明治の後半、政府が書類のペン書きを解禁、教科書に洋紙を採用するなど大きな変化があって製紙業はようやく盛んになり製紙会社も増えて来ました。製紙会社が増えれば競争が激しくなります。景気によって値段の乱高下が生まれます。相場が安い時と高い時は3~4倍も違いが出ました。紙に限らず昔の相場というものはそのようなものだったようです。
 1874年東京で有恒社、1875年王子製紙、1876年京都(府営)でパピール・ファブリックが設立。同じく神戸で神戸製紙所、1887年富士製紙、1914年樺太工業が設立されました。主立った製紙会社の設立を書きましたが、神戸製紙所は現在の三菱製紙です。他は全て王子製紙に統合されました。そして1933年(昭8)に富士、樺太、王子は合併し大王子製紙が出現しました。この合併には色々なドラマがありましたが後から述べる事にします。

選挙の投票用紙

先日(7月2日)に行われた東京都議会議員選挙。
結果は、都民ファーストの会の圧勝に終わりました。(自民党の大敗とも言えますが……)

「でしょ!」と思った方、「マジか?!」と思った方、それぞれにいらっしゃったことと思います。どちらにしても「より良い東京」が築かれるよう、しっかりと行政を運営していってもらいたいものです。

さて……、
と言ったところで、今日のお題は「選挙」。
紙屋からみる選挙についてのプチ情報を書いてみようと思います。

「選挙と紙」と聞いて皆様は何を連想されますか?

――ポスター、パンフレット……。

ですよね。かなりの量ですものね。
あの類いは、立候補者それぞれで製作していますので、使っている紙も自ら選べますし、勿論、印刷する内容は個々に違っています。

その一方で、全ての有権者に、同じ紙で提供されている物もあるのです。
お気づきですか?

そうです、投票用紙!
「選挙」という一連のイベントの中で唯一(?)全て同じ紙が使われているのです。全国の全ての選挙で同じ紙が使われているかどうかは私は知りませんが、かなりの占有率で同じ紙が使われていることは確かです。

あの投票用紙。何でできているかご存じですか?
実は木材パルプから作られる一般の紙とは違って、主原料がポリプロピレンなのです。その名は「ユポⓇ」(株式会社ユポ・コーポレーション製)。“合成紙”というカテゴリーの紙です。

ユポⓇの特徴は、
 ①水に強い
 ②破れにくい
 ③表面がなめらか
 ④折り曲げに対する反発が強く、折りが戻る傾向がある
 ⑤その他

「なめらか」なのは皆様も記入する際にお感じになったことがあるのではないでしょうか。「あれっ、何だこの書き味は……。なめらか~」と。

そして、ユポⓇが投票用紙に採用されている最大の理由が、「折りが戻る傾向がある」という特徴からなのです。
かつてユポⓇを使うまでは、開票作業にかなりの時間を要していました。投票箱から投票用紙を取り出し、折り畳まれた用紙を一枚一枚開く作業にかなり手間取っていたからです。
ところがユポⓇですと、一度折り畳んでもすぐに戻ってしまう。つまり折り畳んだ状態で投票しても、投票箱の上蓋を通過した途端に箱の中ですぐに用紙が開いてしまうわけです。ユポⓇのこの特徴によって、今では一枚一枚開く作業をしなくても開票作業が進められることになり、結果、開票スピードが上がり、開票時間を大幅に短縮できるようになったのです。

「え?ホント?」と思った方。
「知らなかった~」という方。
次の選挙で試してみてください。
候補者名を記入した後、折り畳んで、手を離す。

ほら、開くでしょ?!

こんなところにも紙の特徴が活きているのです。

ユポⓇは上記の①②の特徴から、選挙ポスターとしても相当量が使われているのが実状です。

政局が安定せずにしょっちゅう選挙が行われるようでは困りますが、紙屋からみると思いがけない選挙によって「選挙特需」があるというのも事実です。これも”紙屋アルアル”のひとつでしょうか……。

さてと…、
次の選挙はいつだっけかな~?

「シオザワ 有明紙工センター」開設!

  
この7月より、弊社では紙加工品を製作・販売する「有明紙工センター」を開設いたしました。

得意とするところは、”市販にはない”紙製のオリジナルファイル(バインダー)などです。

市販のファイル(バインダー)を使っていて、「あぁ、この部分がこうなっていたらな~」とか「ウチの業務内容からすると、こんなバインダーがあったらもっと作業が楽なのに……」なんて思ったことありませんか?!

大丈夫です!
是非、当社「有明紙工センター」にご相談ください。
そのご要望にお応えします。
「あったらいいな」をカタチにします!

勿論、ファイル(バインダー)以外でもOKです。
紙加工・内職などに関することで、ご質問・ご相談がございましたら、是非お気軽にお問い合わせください。

【問合せ先】 株式会社シオザワ 有明紙工センター
       担当 田中 tanakasi@shiozawa.co.jp
       TEL03-5638-2035  FAX03-5638-2036

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紙と歴史のよもやま話-8「攘夷討幕から幕臣へ、そして政府要人に」

渋沢 栄一
渋沢 栄一

 渋沢栄一とはどんな人物だったのでしょう。王子製紙の話をするのであれば創始者の渋沢栄一の事を語らずにはいられません。あまりにも有名でよく知っている方も多いと思いますが。
 渋沢栄一は今の埼玉県深谷市、血洗村という物騒な名前の村で生まれました。家は百姓で割りあい豊かでした。養蚕と藍玉の製造販売で父の仕事を手伝いながら商才を磨き、青年時代は北辰一刀流を学ぶために江戸に出て来ています。尊王攘夷が叫ばれる世の中の影響を受け、本人もすっかり攘夷派となってしまいました。村に戻り血気盛んな若者を集め、横浜にいる夷狄(いてき=外人)を成敗しに行こうと計画を立てます。高崎城を襲いこれを乗っ取り武器を奪い鎌倉街道を伝い同志を集めながら横浜に行き、外人を誅殺した勢いで江戸に向かって討幕を実行する。何とも凄い計画ですが決行直前、無謀だと悟って中止します。幕府も討幕の動きには敏感でした。すぐに探索が栄一の身辺に迫って来ました。身の危険を感じた栄一は京都に逃れます。

 

京都へ、江戸に、そしてパリ

 これが栄一の運命の分れ道だったのかもしれません。金に困ってフラフラしている時、一ツ橋家の重臣平岡円四郎が栄一の才能を認め仕官を薦めました。そこで栄一は何と百姓の身分でありながら、一ツ橋慶喜に自らの意見を聞いてもらえるならと条件を出しました。慶喜は喜んで意見を聞きましたので、尊王攘夷、討幕の志士は幕府を支える一ツ橋家の家臣となったのです。平岡円四郎は非常に優れた人で暗殺されてしまいますが、生きて慶喜を支えていたら日本の歴史は変わっていたかもしれません。間もなく一ツ橋慶喜は将軍になりました。そして栄一はパリに行くことになります。万国博覧会の日本代表団の随員に選ばれたのでした。
 その頃のフランスはナポレオン三世が皇帝で、江戸幕府を支援していました。イギリスは薩長を支援していましたので日本における英仏の主導権争いが密かに行われていた感があります。ナポレオン三世は初代の有名なナポレオンの弟の息子です。クーデターに失敗し投獄されますが脱獄、選挙で大統領に当選するなど数奇な運命の持ち主です。何と言ってもパリ改造をした事は特筆すべき偉業です。その頃のパリは糞尿まみれの汚い都市でしたが、それを綺麗な都市に改造したのがナポレオン三世です。彼は地主から土地を買い上げ住人を追い出し、区画整理をして大改造します。上下水道を整備し広い道路を作りました。そして高級分譲地として売りに出し元を取り大儲けしたのです。

役人から実業家に

 さてヨーロッパで学んだ栄一が帰国した時、日本では大政奉還が行われ将軍慶喜は静岡に引っ込んでいました。栄一も静岡に行き慶喜の下で藩の財政立て直しに力を注ぎました。暫くするとその仕事振りが中央政府の眼に止まり大隈重信(早稲田大学の創始者)に説得され新政府の役人に引っ張られます。役人生活は僅かに四年で辞めてしまいます。そして実業の世界へ足を踏み入れるのでした。最も有名なのは第一国立銀行(現みずほ銀行)の初代頭取に就任した事でしょう。他にも五百位の会社の設立にかかわったと言われています。
 王子製紙も渋沢の肝いりで作られたのですがその経営には非常に苦労しました。頼みの明治政府は抄紙局を設立し自前で紙幣用紙を作ったばかりでなく印刷用紙にも乗り出して来ました。しかし紙の中心は和紙で機械式大量生産を必要とするほどの需要はありません。ようやく政府の地租改正に伴い土地の私有が認められ、地券が発行されるようになり、その地券用紙の製造で一息つくことが出来るようになりました。そして1877年西南戦争が勃発、新聞が爆発的に発行されるようになって何とか紙が売れるようになったと言われています。このことはようやく印刷業(西洋式活版印刷)も発展したという事です。

 

紙の歴史とよもやま話-7「宇佐八幡宮ご神託事件、道鏡の野望…そして明治時代」 

 百万塔陀羅尼が完成する一年程前の事、今の大分県にある宇佐八幡宮で「道鏡を天皇にすべし」というご神託が下ったと言うのです。本当か間違いないかと大騒ぎとなりました。そこで真実を確かめるため誰かを宇佐八幡宮に派遣する事になりました。指名されたのは和気清麻呂(わけのきよまろ)。自信満々で吉報を待つ道鏡、そして称徳天皇。果たしてその報告は・・・
 清麻呂はどのように奏上すべきか悩みに悩んだ末、次のようなご神託を賜りましたと言いました。「必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし」。つまり道鏡を追放すべしと言ったのです。怒ったのは道鏡、それに称徳天皇。称徳天皇は清麻呂を今の鹿児島に流したうえ名前をキタナマロとしてしまいました。しかし道鏡を天皇にすることは諦めました。
 弓削道鏡は江戸時代の川柳に「道鏡は座ると膝が三つ出来」と詠まれるなどして、好色、絶倫のイメージが定着してしまいました。称徳天皇が崩御すると道鏡も失脚します。二人とも百万もの陀羅尼経を作ったのに長生き出来ませんでした。

 

浅草で生まれた「冷やかし」

 百万塔陀羅尼の話の以後は紙の歴史のうえでは特に目立った事件はありません。まあ江戸時代浅草の紙漉き職人が紙を水に浸けておく間に吉原を見物(見るだけ)することを“冷やかし”と言ったという話くらいがあるだけです。ただこの“冷やかし”は古紙の再生で浅草にはそれなりに業者があったことを示します。ついでに冷やかしの他にも吉原で生まれた言葉に“モテる”があります。一人の花魁(おいらん)にご指名が重なった場合、良い男の方に「持って行かれた」という事から“モテる”が生まれました。
 話は一足飛びに明治となります。そうです、わが国で機械による洋式の紙生産が始まった明治の時代に注目致しましょう。
 1870年(明治3年)百武安兵衛と言う人が伊藤博文と共にアメリカに行き製紙機械の買い付けを行いました。1874年元広島藩藩主浅野長勲(あさのながこと)が有恒社を設立しました。1875年には渋沢栄一が王子製紙を設立しました。百武の製紙会社はその後閉鎖され、有恒社は王子製紙に吸収されましたので、王子製紙は我が国の洋紙製造の歴史そのものであると言っても良いのかもしれません。

 

王子製紙豊原工場(1917年 - 1945年)
王子製紙豊原工場(1917年 - 1945年)

紙幣の紙は官で

 王子製紙は最初は抄紙会社と名乗りました。ところが大蔵省が官営の製紙所=抄紙局を作るので名称を変えろと要求して来ました。当時の大蔵省には得納良介(とくのうりょうすけ)という人物がいて、以前渋沢栄一を馬乗りになって殴ったという事件を起こしていました。得能は渋沢に嫌がらせをしたと勘ぐられても仕方がありませんが、名称変更の要求のみならず土地の半分を大蔵省に譲渡せよという無茶な要求をして来ました。しかし得能の主張は正論でした。その正論と言うのは「紙幣を作るにあたって民間の作った紙を使う訳には行かない、大蔵省で作るべきである」という訳です。仕方なく渋沢は製紙会社と名称を変えました(後に再度王子製紙と改称)。土地も言われるままに譲渡しました。
 誤算だったのは紙幣を作るにあたって国産紙でなければならないと渋沢も考えていて、その為の製紙業だったという事です。二人は大蔵省紙幣寮に一緒に勤務していましたので、全国統一の紙幣の発行に共通の理解があったのです。何しろ当時は偽札が横行し大問題になっていたので統一紙幣の発行は急務でした。得能の断固とした方針に渋沢はやられてしまいました。いかにも得能が意地悪をしたようにしか見えませんが、第一国立銀行の初代頭取に渋沢を推薦したのは得能でしたから実はお互いに良く理解し合っていたのです。