紙と歴史のよもやま話-6「世界最古の印刷物か?」

 百万塔陀羅尼は世界最古の印刷物という事になっていましたが、「いや違う!」と思いがけないクレームつきました。お隣の韓国からです。世界遺産に登録されている名刹、仏国寺というお寺にある釈迦塔(石塔)の中から無垢浄光大陀羅尼経が発見されたのです。釈迦塔の建立は751年ですから百万塔陀羅尼より20年も古いのです。しかも則天文字が使われていました。則天文字と言うのは則天武后(中国唯一の女性皇帝)が作った新しい文字(17文字)の事です。三大悪女と呼ばれる程の人でしたので、その死後(705年)則天文字は使われなくなりました。従って発見された大陀羅尼経はそれ以前のものに違いないという訳です。かなり説得力があります。
 それに対して我が国の学者は反論しました。出来栄えが非常に良いので新しいものに違いない。それから則天文字は後世においても使われていた。その証拠に我が国の水戸光圀の「圀」は則天文字である。「この印籠が眼に入らぬか!」と気張ってみてもやや分が悪いようです。

則天文字の例
則天文字の例

 

則天武后の則天文字

 

 則天武后は凄い人で自分の生んだ子を殺して権力を手に入れたとされています。自分の生んだ赤ちゃん(当然皇帝の子)を皇后が見に来ました。勿論お祝いのためです。武照(則天武后の元の名前)はその場に立ち会いませんでした。そして皇后が去った後「赤ちゃんが死んでいる!」と騒ぎ出したのです。当然疑いはお祝いに来た皇后に向けられます。こうして皇后を失脚させ自分が皇帝と結婚し(まさに略奪)皇后となって権力を手に入れたのでした。実は時の皇帝高宗は結婚をためらいました。臣下の中に反対が多かったからです。しかし李勣(りせき)という臣下が「これは陛下の家庭の中の問題ですから我々に意見を聞く必要はございません」と返事をしたことで、高宗は武照との結婚を決意したと言われています。うまい事をいうものですね。で反対意見を言った者は次々と殺されています。
 そして武后は前皇后と皇帝のもう一人の愛人蕭淑妃(しゅうしゅくひ)を百叩きの刑に処し手足を切って酒壺に放り込んで絶命させました。その時、蕭淑妃が「死んでお前はネズミになれ。私は猫になってお前を食い殺してやる」と言ったとか。以来武后は宮廷で猫を飼う事を禁止しました。それから投書箱のようなものを作り密告政治を進め政敵を次々と殺したり、気分で元号を変えたり物凄い皇帝となったのです。恐ろしい話はいくらでもあります。

 

製作時期の特定が難しい

 

 さて10年ほど前、どちらが古いかの論争に終止符を打つような出来事がありました。韓国でその釈迦塔を詳しく調べたところ11世紀前半に納められたと書かれた文書が出て来たのです。  
 大陀羅尼経の最初の発見のきっかけは泥棒が釈迦塔の中のお宝を盗むため一部を壊したことによります。その時に大陀羅尼経を発見したのですが、しかしあまりの貴重品であり貴いものなので、バチが当る事(仏罰)を恐れ徹底調査しないまま石を元に戻し封印してしまったのです。ようやくもう一度よく調べようと言う気運が高まり調査したわけです。
 私見ですが大陀羅尼経の則天文字は、何百年もの間筆写されて来たものを忠実に印刷したので、元になる本(定本)にあった則天文字がそのまま残ったのではないかと思います。
 百万塔を作ったのは称徳天皇です。女性天皇で最初は孝謙天皇と名乗りましたが、一度引退して再度復帰して称徳天皇と名乗りました。このような事を重祚(ちょうそ)と言いますが歴史上二回あります。なお女性天皇は八人います。
 さて称徳天皇と言えば弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を忘れてはなりません。道鏡は僧侶ですが不思議な力で称徳天皇の病を治しました。そのため称徳天皇は道鏡を取立て側近にすると、道鏡はどんどん出世し法王にまで上り詰めます。そんなある日とんでもない事件が起こりました。